映画『サブスタンス』と岡崎京子『ヘルタースケルター』 男たちに消費される「美」との決別【緒形圭子】
「視点が変わる読書」第20回 『ヘルタースケルター』岡崎京子 著

■男たちの欲望を満たすための「美」という地獄
この漫画は、『FEEL YOUNG』という漫画雑誌に1995年7月号から1996年4月号まで連載され、2003年に単行本化された、岡崎京子の代表作である。
超デブで、おかちめんこの比留駒春子は、モデル事務所の女社長・多田に骨格の美しさを見込まれ、全身整形をして、「りりこ」に生まれ変わる。多田の事務所に所属したりりこは美しい顔と肉体でスターとなり、モデル、女優、タレントとして大活躍する。
ところが全身整形をしたクリニックは整形後の状態を保つための治療に、胎児の死体から抽出したエキスなど、薬事法に違反した薬を使用しており、その高額な治療費と手術の後遺症、薬の副作用に苦しみ、命を断つ女性が後を絶たなかった。
りりこは社長のバックアップがあるので治療費には困らなかったが、度重なるメンテナンス手術と治療に、体も心ももたなくなっていく……。
岡崎京子は1990年代に活躍した漫画家だ。彼女は1989年に創刊された『CUTiE』というストリート系ファッション誌に、「リバーズ・エッジ」や「東京ガールズブラボー」などの作品を連載し、知名度を上げた。二つの作品はいずれも、パンク、テクノ・ポップ、ニューウェーブなどサブカル志向の女子高校生を主人公にしているが、彼女たちは既存の社会に飽き足らず、自分の好きな物、やりたいことを追及していく。
まぁ、子供のうちは、親に、大人に、社会に、反抗していれば、それだけで意味があるように思えるし、自分の食い扶持のことを考える必要もない。モラトリアムを生きているようなものだ。
しかし大人になると、そんな彼女たちも生活していくために、社会と折り合いをつけていかなければならない。社会の中に自分の居場所を見つけなければならなくなる。
りりこは地方都市で父、母、妹、四人で暮らしていたが、十代後半(恐らく)に家出をして東京に出てきた。別に目的はなく、親切そうに声をかけてきた男についていったら、風俗に売り飛ばされてしまう。そこはデブ専の店で、りりこは生まれて初めて男たちにちやほやされる。あるパーティに出張に行った時に多田と出会い、全身整形することを決意する。
結果、りりこは仕事と名声と多くのファンを手に入れた。しかし、満足するどころか不安はつのるいっぽうで、こう一人ごちる。
こんな仕事はもういやなの 歌だって下手だし 演技だってできないし
タレントにも向いてない、 タイミングがうまくはかれない
テレビカメラの前でいつだって心臓がばくばくいってる
モデルの仕事だって…
カメラがシャッターを押すたびに空っぽになってゆく気がする
いつも叫びたくなるのを必死におさえているのよ
いつかあたしは叫び出すだろう
その前に……ああ…何とかしなくては…
大人になるということは、単純に言えば資本主義社会に組み込まれるということだ。
資本主義の基本となる経済理論を確立したアダム・スミスは、市場経済において各個人が利益を追求すれば、神の見えざる手が働き、結果的に社会全体において適切な資源配分が達成されると説いたが、今や資本主義の勢いに神の手の力も及ばなくなっている。一度その渦に巻き込まれたら最後、制御できない欲望にかられ続けることになる。
渦の中心になっているものの一つに、女性のからだがある。
コラリー・ファルジャは言う。
「広告、映画、雑誌、ショーウィンドウなど、私たちの周囲に存在するあらゆるものは、私たちがなり得る姿を思い描いてきました。常に美しく、スリムで、若く、セクシーな姿です。そのような『理想の女性』であれば、愛をもたらすと思わせるのです。成功も、幸福ももたらすと。
そして私たちの年齢、体重、からだの輪郭などがその理想の型から外れていく時、世間は、『お前は女としてもう終わりだ』と私たちに宣言します。
『もうお前の姿は見たくもない』『画面上に姿を現すな』『雑誌の表紙を飾るな』と」
(『サブスタンス』パンフレットより)
りりこも思ったのだろう。美しい顔と体さえ手に入れれば、愛されて、幸せになれると。しかし、そうはならなかった。何故なら、彼女が整形で手に入れた「美」は男たちの欲望を満たすための「美」だったからだ。
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